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いよいよ2014年も終わりですね。

今年の3月にブランドリニューアルを試み、Kinematoriumにへとブランド名を改めてから、百貨店やデザフェスへ初めて出展したりするなど本当にたくさんの方と繋がることができました。
リニューアルは非常に勇気のいるものでしたが、挑戦して良かったと思っています。

興味を持ってくださった方、作品をお手に取ってくださった方、様々な情報やアドバイスをくださった作家様やバイヤー様、関わってくださった全ての皆様に感謝を。
本当にありがとうございました。


今年は蝶々のイメージを定着させることができたので、今後はもっと他もモチーフでも印象づけていきたいなと思っています。
作りたいものはまだまだたくさんあるの。


来年のイベントの予定も少しずつ決まりつつあります。
今以上に良いものをお届けできるように尽力していきますので、2015年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


それでは皆様良いお年を。
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今年のうちに。
ということでずうっと書いたまま忘れ去っていたフィンランド旅行のレポートを年の瀬に公開することにしました。



レポートというか旅行中に忘備録がてらつらつらメモした短い文章のまとめみたいなものです。

9ヶ月も前のことだしもう上げる必要なんてありませんが、やっぱりもったいなくなってきたので…。
(写真もたくさんあることだし)

ご興味がありましたら追記よりご覧くださいね。



[ 続きを読む ]



中学生の時に国語の教科書で読んだ、ある短編小説が未だに強く印象に残っている。

優等生の友人の部屋から珍しいクジャクヤママユの標本を勝手に持ち出してしまう“僕”の物語。

きっと、ご存知の方も多いでしょう。


物語は、盗んだ標本を壊してしまい罪悪感にかられ正直に優等生に打ち明け謝るものの、軽蔑の眼差しを向けられてしまう…といった風に淡々と進んでゆく。
最後には“僕”は収集していた蝶の標本を指でひとつひとつ潰していきます。


この物語から読み取るべき要点は『一度犯した過ちが取り返しのつかないことになる』ということなのだろうけれど、当時の私は壊れた標本のことばかりを考えていた。

盗みを犯したがために触角も脚も翅もバラバラになってしまった蛾の標本と、自分自身に罰を課すために自ら収集して作り上げた蝶の標本を指で潰すという行為に非道徳的な美しささえ感じる。


自身の幼少期の昆虫収集好きの記憶とこの物語を読んだ時の衝撃が形になって表現されたものが、翅が分裂した蝶のアクセサリーだったりする。
綺麗に仕上げられて大切にされている蝶の翅は勿論素敵だけれど、ちぎれてバラバラになって持ち主に忘れられてしまった翅には退廃的な魅力があってどこか惹き付けられる。

ちょっと、趣味が悪いと思うひともいるかもね。


不安定を楽しむ、私はそういう人間です。


 

—そうかそうか、つまり君はそういう奴なんだな。
(ヘルマン・ヘッセ作:少年の日の思い出)



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